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東後 勝明氏の”英会話 最後の挑戦”から
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東後氏は、NHKのラジオ英語会話の講師を13年もおやりになった方です。
その東後氏が、ある国際会議に日本代表で出席され、1つのテーブルの司会をおおせつかり、会議が始まったそうですが、なんと、早くてついていけない、議論にならないという経験をされたそうです。
さっと血の気がひいて、どういうふうにその場を収めたか、覚えていなかったそうです。
東後氏のロンドンでの苦い経験です。
”私は、その時まで自分は英語が話せると思っていた。
NHKラジオ英会話講師として、13年目をむかえようとしていた。
1984年秋のことである。”
このとき、とある国際会議に日本代表として出席されたそうです。
それは、ロンドンで開催された、”ブリティッシュカウンシルの世界英語教育学会”でした。
ここで、一つのテーブルの司会をおやりになり、会議が始まりました。
そして、発表者の発言のあとパネリストと会場参加者との意見の応酬になりました。
外国の代表の口からは、みんな英語が母国語ではないのに、英語がボンボン出てきます。
このとき、東後氏は
”私は、とまどった。速くてついていけない。議論にならない。”
とお感じになられたそうです。
それで、かつて留学したことのあるロンドン大学に戻って”最後の挑戦”をなさったそうです。
新しい学習法は、
原則1: 自然な英語だけを覚える
原則2: ことぼを超えて相手の意図を推測する力を養う
原則3: 「覚える」より「使う」を優先する
とのこと。
ホテルに戻ってから一人考えこんでしまったそうです。
”なぜだ! どうして自分はこんなにできないのだ!”
東後氏ほどの方でも、こんなことがあるんですね。
でも、いわばトップレベルの方の場合ですので、ふつうの場合とは少し事情が異なると思われます。
お考えになったのは次のようなことだったそうです。
・日本人が英語を使えるようにならないのは、どこかに決定的な要因がひそんでいるに違いない。
・これまでの文法、文型中心の勉強には限界がありそうだ。
・「覚え」「練習」をし、それから「使う」ようになる、という勉強の順序では、「使える」ところには到達しないのではないか。
・ことばを「知っている」ことと、コミュニケーションとして「使える」こととは、別問題のようだ。
そこで、NHKの番組をお降りになって再留学を決意されました。
1986年に、かつて留学されたロンドン大学に戻られました。
そこで出会ったのが、”コミユニカティブ・アプローチ”という教授法でした。
この方法のおかげで、つねにことばをコミュニケーションの視点でとらえるようになったそうです。
日本の英語教育は、外国とくらべて約20年近くもおくれていると悟ったとのことです。
中学校、高校、あるいは大学でさんざん英語を学んだにもかかわらず、いまだに思うように英語が使えず、悶々としている多くの社会人のために、最後の挑戦法となる方法のようです。
つぎの三つの原則に基づきます。
1.自然な英語だけを覚える
2.ことばを超えて相手の意図を推測する力を養う
3.「覚える」より「使う」を優先する
これまで日本人が学校で勉強してきた英語は、どう考えてもすぐに使えるものとは思えない、と言われます。
では、どうして使えないのでしょうか。だいたいつぎの4つに分類されるそうです。
パターン1
文法的には正しいが、実際に使われる場面のきわめて少ないもの
パターン2
文としては正しいが、対話としてうまくかみあわないもの
パターン3
文化や社会的習慣の違いにより、使い方が左右されるもの
パターン4
実際のコミュニケーションとして成りたっていないもの
文法的には正しいが、実際に使われる場面のきわめて少ないもの
・I am a boy. のように言う場面はほとんどありません。
・A cat is on the sofa.のように、不特定の猫が特定のソファに座っていることはあまり考えられません。
文としては正しいが、対話としてうまくかみあわないもの
・What happened to John?
A car hit him.(これは、He was hit by a car. がふつう)
・When was John hit by a car?
John was hit by a car last week.(これは単に、Last week. がふつう)
文化や社会的習慣の違いにより、使い方が左右されるもの
・How about having a bath?
(あまりすすめると、どうして、そんなに臭いますか、のような答えが、返ってこないともかぎりません。)
・What would you like to have?
(日本語式に、おまかせします、と言っても会話としては成りたちません。)
実際のコミュニケーションとして成りたっていないもの
・(自分の鼻をさしながら)What is this?
(わかりきっています) It is a nose.
・(誰のかわかっているとき)Whose pen is this?
(あえて言わなくても) It is mine.
コミュニケーションには3つのパターンがあるそうです。
たとえば、教室で静かにさせたいときそれを伝える手段として適切なことばを選ばなければなりません。
・なにも言わない(態度で示す)。
教室が騒がしいとき、先生はなにも言わずに座りただみんなの方を見ています。先生は黙っていることによって、静かにしなさいということを態度で示しています。
・それとなく言う。
There is someone speaking.
・直接的に言う。
Be quiet please.
そして、コミュニケーションを成りたたせるためには、相手に伝えたいこととそれにみあった言葉を選ぶプロセスがあります。
そのとき、伝えたいことにはそれなりの必然性が必要で、なぜそれを伝えたいのかが両者でわかりあっていなければなりません。
洋の東西を問わず、外国語学習の始まりは文法と翻訳が中心だったようです。
日本の英語教育は、これまでのやり方ではダメだということをみんなが体験しながらも、それを本気で変えようとしてこなかった歴史があったようです。
これまでの世界の英語教育の流れには、大きく3つのトレンドがあったとのことです。
・イギリスの植民地政策の一環として英語を普及させようとしたもの。
英語を第二母国語として教えようとしました。
・1950年代のアメリカのミシガン大学を中心とした構造言語学理論に根ざしたオーラル・アプローチ。
英語を外国語として教えることに重点が置かれました。
・1970年代後半からヨーロッパ共同体加盟国間で行われた、コミュニカティブアプローチ。
とくに、若い労働者が就労に際して意思疎通ができるように開発されたようです。
コミュニケーションを成り立たせるには、自然な英語だけを覚え、かつ、ことばを超えて相手の意図を推測する力を養うことの意味を的確に受けとめることが大切なようです。
”会話を成りたたせるために、私たちは会話を交わす時、無意識のうちにコミュニケーションが成りたつよう、協調し、話しあっている”、と、アメリカの哲学者H・P・グライスさんが言われているとのことです。
グライスさんの言われる協調の仕方は、つぎの四つの原則から成り立っているそうです。
1.量の原則
2.質の原則
3.関連の原則
4.簡潔の原則
です。
量の原則とは何でしょうか。
これは、あなたの発話に必要とされるだけの情報量をもたせよ、ということのようです。
コミュニケーションをしているときは、お互いが必要としている適量の情報量をお互いに見きわめて会話することが重要とのことです。
たとえば、新築の家の感想をたずねたのに対して、もしカーテンの色のことだけで返答したような場合、
ふつう、新しい家の感想を訊く時に、その人が求めている情報はカーテンのことだけではありません。
にもかかわらずあえて、カーテンのことだけを話題にしているということは、適切な情報量ではありません。
下手をすると、「カーテンがきれいだ」ということだけでは、特別な意味として、「あまりいい家でなかった」という会話の合意が、皮肉となって伝わっていく恐れさえあります。
相手の意図を感じながら、ある程度の量のコミュニケートをすることが大切なのですね!
質の原則とは何でしょうか。
これは、いつわりを言わず真実を話そう、ということのようです。
まさに、その通りですね。
会話では、お互いに本当のことを言っているという信頼感がないと、話はうまく進んでいきません。
仮に一度うまく運んだように見えても、いつわりだと分かれば次からはお互いに用心するようになります。
たとえば、二人で観劇をした後、いっしょに観た劇が最低であったと知りながらも、
”今夜の演劇はとてもよかった”
と言った場合、
明らかに事実に反していますので、”皮肉”となって伝わっていくことになってしまいます。
関連の原則とは何でしょうか。
これは、”会話の目的にあった話をせよ”ということのようです。
話の焦点がぼけてしまっては、何がなんだか分からなくなってしまいます。
会話の内容に適切なことのみをつねに話そうとお互いが努るからこそ、会話は成り立つのだと思います。
”ガソリンが切れた。”
に対して、
”角を曲がったところにガレージがあるよ。”
と言った場合、
相手は自分の言ったことに関連のあることを言っているものと考え、それから類推して、
”そこではガソリンを売っているので買ってはどうか”という提案として受けとめることになります。
簡潔の原則とは、
「明瞭であれ」
「あいまいな表現を避ける」
「簡潔であれ」
「順序よく話せ」
といったことのようです。
会話は、お互いの協力なくして成りたちませんので、協力しやすいように振る舞うことが大切、ということです。
ある人がパーティで歌ったことを、
”メアリーは埴生の宿のメロディーに近い一連の音を発していたよ”
と言ったとき、
これはわざと、故意にまわりくどく言って、歌はまずかったということを暗に伝えていると受け取られてしまうのではないでしょうか。
そこで、簡潔であるためには、コンテクスト=前後のつながりが重要になってきます。
意味を正確につかむには、コンテクストが重要です。
コンテクストは「文脈」と訳されることもあります。
通常の意味は、文章の前後関係のことで、「この言葉は、この文脈ではこのような意味になる」というように用いられます。
まざまな場面や状況で、話者の真意はこのコンテクストのなかにあぶり出されます。
いわば意味を映しだす鏡とも言えるものです。
例:What are you doing?
これは状況次第で、
「なにをしているのですか」 にもなれば、
「そんなことは止めなさい」 にもなります。
意味のあぶり出しをおこなうコンテクストとして次のようなものを考えるとよい、と言われます。
@会話がおこなわれている場はどこか
A誰が誰に向かって言っているのか
B話の成りゆき
C個人的な人間関係
D文化の違いや社会的風俗・習慣の違い
E個人的な性格の違い
F情報の共有の仕方
次に、「覚える」より「使う」を優先することが大切、とのことです。
何か考えるときの方法として、演繹法と帰納法があります。
演繹法とは、疑いようのない普遍的原理から論理的推論によって個別の事柄を導く方法です。
例えば、大前提で「すべての生き物は死ぬ」、小前提で「人間は生き物である」とすると、結論は「すべての人間は死ぬ」ということになります。
帰納法」とは、観察・実験を通して集めた個々の経験的事実から、それらに共通する普遍的な法則を求めるという方法です。
英会話では、この帰納法がとても重要だと言われます。
「なるほど。こういう時にはこうなるのか」ということの経験を積み重ねることです。
つまり、一つひとつの事象から一般的ルールをひきだし、それを自分のものにしていきます。
ことばの修得も、母国語を覚えるプロセスがまさにこの帰納法によるものである、と言われます。
最後に、ほんとうの基礎力とは何でしょうか。
知識としての英語力を考えれば、単語力と文法力ということになります。
しかし、注意が必要なのは、
”単語が、やさしいものから難しいものへ進む時、やさしいものがそのまま基礎力になるとはかぎらない”
ということです。
知識としてはやさしく見えても、コミュニケーションで実際に使うときにはやさしく見える言葉も必ずしもやさしいとはかぎらないようです。
いっぼう、一見難しそうに見えても、日常よく耳にし、その場にそくして使っていれば、自然と身についていく言葉も少なくないようです。
そして、
頻度の高いことばを、快く感じながら覚えることこそ、真の基礎力をつけることにつながっていく、とのことです。
また、単語や文法の知識はかぎられていても、それ以外の手がかりをもとにコミュニケーションしていく力も、もう1つの基礎力だとのこと
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