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◆荒木創造氏の”英語 話せる性格 話せない性格”から

 今日は、”英語 話せる性格 話せない性格”(2000年8月 青春出版社刊 荒木創造著)からの話題です。

 荒木創造さんは東京生まれ、早稲田大学政経学部在学中から小説などを書き始め、英語通訳、翻訳、ライター等を経て、心理カウンセラーとしても活躍しています。日本で最初にストーカー問題を紹介する本を翻訳しました。日本人の英語力の弱さはあらゆる角度から指摘され、日本人の長所ともいえる性格傾向は、英会話の上達を妨げる原因の一つとなっています。話せない性格を徹底検証し、どんな心理的操作が必要か実例を使って説明しています。

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 荒木さんは、あなたは英語を話すのに向いた性格ですか? と問われます。

 荒木さんが、日本人の性格は確かにグローバルなものに欠けていると思いはじめたのは、カナダに住んでいた時だそうです。

 それは、中国から来た人たちと接したのがきっかけでした。

 彼らは、銀行でもデパートでも平気でおかしな発音とでたらめな英語を大声で話していました。

 そして家に遊びに来ると、初めて会ったフランス系カナダ人に、なんでフランス語を公用語の一つにしているんだと議論をふっかけたそうです。

 荒木さんは、こういった態度は中国人だけに見られるものではなく、ラテン系の人たちも、アラブ系の人たちも、似たりよったりのことをしていると言われます。

 また、アメリカ人も、カナダ人も、イギリス人も、パーティかなにかで集まると、大声で議論し、からかい合い、嫌みを言い合います。

 ところが、カナダやアメリカに住む日本人の家に呼ばれると、状況は180度異なります。

 誰も議論などしないし、ましてや言い争いや嫌みの言い合いはほとんどありません。

 酒を飲み、おいしいものを食べ、冗談を言って、噂話を少しして、そのあとはカラオケです。

 なぜ日本人がカラオケをこんなに好むのでしょうか。

 議論をしたがらない性格にもその理由の一つはあるのでしょう。

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 荒木さんが、日本人の性格は確かにグローバルなものに欠けていると思いはじめたのは、カナダに住んでいた時だそうです。

 カナダやアメリカに住む日本人の家に呼ばれると、誰も議論などしないし、ましてや言い争いや嫌みの言い合いはほとんどありません。

 議論をしたがらない性格にもその理由の一つはあるのでしょう。

 もちろん、同じことが日本に住む日本人についても言えます。

 居酒屋での酒の席の会話にも議論や言い争いというものはほとんど起きません。

 客たちはよくしゃべったり笑ったりしながらも、気持ちや言葉がぶつかり合わないように、危険な言葉、正直な言葉をうまく避けています。

 直接的な言い方や質問は避けられ、言いたいことを社らげる遠回しな表現が歓迎されます。

 これはすべて日本人の知恵だし、日本人が長い時間をかけて育てた文化でもあります。

 そしてこの日本人の知恵と文化が、若者が使うあいまいな言い方も含めて日本語と日本人の性格をつくっているのです。

 日本語を話しているだけなら、この日本人の性格のままでもよいのでしょう。

 でも、グローバルな言葉である英語を話すということになると、この日本人の文化や性格が大きな足かせになってくるのです。

 英会話をモノにしたい人、あるいは英会話の勉強をもうずいぶん頑張っているのに大して上達していない人、は一度自分の性格を振り返ってみたらいかがでしょうか。

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 荒木さんは、英会話力を阻んでいたのはいくつかの性格だったと言われます。

 英語を話せるようになりにくい性格には57のパターンがあるそうです。

 1つ目は、感性が大人のために子供になれない人です。

 新しい音が素直に入ってこない、英語の音をきちんとカタカナに変えようとする、丁寧に日本語に訳そうとする、人に甘えようとしない

などが特徴です。

 外国語を話す能力が身につきにくい人には様々な心理的要因があるのですが、中でも感性か大人のために子供の心が持てないということが最大の要因かもしれません。

 子供はいつも油断なく周囲を観察しています。

 観察しながら様々な言葉や助作をそのまま素直に受け入れ、模艇することによって、自分のものとしていきます。

 ですから、子供の心を持つということは周囲の状況を素直に受け入れて、模倣によって自分のものにしていく気持ちを持つということです。

 もちろん、大人になってしまった人が100%子供の心を持つということはありえません。

 たぶん10%でもむずかしいでしょう。

 でも重要なことは、英会話を身につけるということは、その第一歩は子供が大人の真似をするような模倣だということなのです。

 子供の心が持てない性格の人は次のような妨げがあります。

 新しい音が素直に入ってこない。

 いわゆる発音が悪いという人はこのタイプです。

 耳から新しい単語や表現がなかなか覚えられないということでもあります。

 まず先入観を捨てて虚心に耳を傾けることです。

 つづりを思い浮かべようなどとしないで、間違ってもいいから、聞こえたまま口に出して真似してみることです。

 学校で習ったのとはちょっと違いますが、意外に正確な発音で言ってることがよくあります。

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 2つ目は、英語の音をきちんとカタカナに変えようとする人です。

 小学生でも中学生でも、比較的勉強のできる生徒にこのタイプがよくいます。

 なにごとも曖昧なままほうっておくのが不安なのです。

 英語には日本語では表すことのできない音がたくさんあるのだということをもう一度思い出しましょう。

 書いて覚えようとしないで、口で覚えようとすること、カラオケでも覚えるような気持ちで覚えましょう。

 3つ目は、丁寧に日本語に訳そうとする人です。

 2と同じように、なにごとも曖昧なままにしておくと落ち着かないタイプです。

 ペーパーテストはけっこうできるのに、話すとなるとダメという人によく見られます。

 この癖は一日も早く直さなければなりません。

 この癖が抜けないうちはいくら勉強しても英語は話せるようになりません。

 日本にいながらこの癖を直す一番いい方法は、ピデオショップから英語の映画を借りて来て、字幕の部分を見えないようにして何度も見ることです。

 会話が早く進んでいくので、頭の中で訳している暇がありませんし、しだいに言葉と言葉ではなく動作や表情との関連で意味を感じ取るようになります。

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 4つ目は、人に甘えようとしないことです。

 英語であろうと日本語であろうと、話そうとすることは自己表現です。

 この自己表現に自信がない時、話している相手とか周囲の人に一種の甘えがないとなかなか言葉が出てこないものです。

 まだよくしやべれない小さな子供でも自分の母親には雄弁にものをねだったり、文句をつけたりしています。

 これも母親に甘えているからこそこうしているのです。

 日本人が下手な英語を一生懸命話そうとやる時、この子供の気持ちに似た甘えがあるほうが言葉の出がスムーズになります。

 それだけでなく、間違った時なども甘えの気持ちがあれば、無責任に笑い飛ばすことができるというものです。

 この甘えの気持ち、場合によっては他人への信頼感と呼んでもいいかもしれません。

 5つ目は、なにごとにも几帳面なところがある人です。

 几帳面な人の特徴を挙げます。

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 (日本語でも)言葉の細かい違いに気を使う

 英語と日本語の違いを細かく分析したがる

 その場かぎりのごまかしは言わない

 冗談やばかは言わない

 ぱかになれない

 歯の浮くようなお世辞は決して言わない

 失敗や間違いをきちんと反省する

 時間に几帳面である

 マニュアルもきちんとこなすしっかり者である

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 6つ目は、礼儀が身についてる人です。

・他人にたちいった質問はしない

・反論はしない

・他人を言葉でやっつけるのを好まない

・他人に文句は言わない

・簡単に自己主張しない

・政治や宗教の話を避ける

・下劣な話はしない

・聞き役がうまい

・相手を絶対にからかわない

・丁寧な態度をとることができる

 7つ目は、思慮深く自分のことは控え目に表現したがる人です。

・自分のことは気軽に明かさない

・変わった人と思われたくない

・ずうずうしい人と思われたくない

・周囲の目を気にすることが多い

・(男性の場合)女をロ説くのが苦手である

・(女性の場合)男にスキを見せない

・自分の本心は親しい人以外には話さない

・控え目な行動をとることが多い

・自分から勝手に話し出すようなことはしたがらない

・演技をして自分をごまかすことはしない

・肉体的なことへの意識が強い

・日本を愛しすぎている

・笑顔でごまかすようなことはしない

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 8つ目は、考え方・生き方が大人の落ち着きを持っている人です。

・興味の範囲がありすぎて、外国まで追いつかない

・外国への興味はあるが、知識が追いつかない

・食べ物や生活にきちんとパターンを持っている

・英米人へのコンプレックスが少ない

・観察を交えてのムダ話はしない

・想像で話をすすめるようなことはしない

・つねにきちんとした日本語を話す

・常識をきちんとふまえている

・学生の頃から英語が得意だった

・読書が好きすぎる

・一人でいるのが好きだ

・何事も具体的に考える

・決断するのにきちんとした根拠をほしがる人

・気を使って大声で話さないことが多い

・よく知らない人には自分からは失礼なので話しかけない

・Yes.Noはきちんと考えてから答える

・考えがはっきりするまでは意見は述べない

・自分の意見がありすぎる/53考えや感情が深く、複雑である

・外国人と友だちになるのが苦手である

・単語勉強は、ムダだと思っている

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 次は話せる性格チェツク・テストです。

 いくつあてはまりますか?

1 新しい、奇妙な音も自然に耳に入ってくる
2 英語の音もカタカナに変える必要を感じない
3 英語を読んだり、聞いたりして、日本語に訳さなくても気にならない
4 時と場合によるとすぐに人に甘えられる
5 (日本語を話している時も)言葉の細かい違いは平気で無視する
6 英語と日本語のニュアンスの違いなどあまり気にならない
7 臨機応変にすぐにごまかしが言える
8 冗談やぱかも必要とあればいくらでも言える
9 必要とあればいくらでもぱかになれる
10 歯の浮くようなお世辞も平気で言える
11 失敗したり間違ったりしてもすぐ忘れてしまう
12 時間にルーズなところがある
13 マニュアルはすぐ無視して自分流 にやりたがる
14 対面から相手に平気で個人的質問ができる
15 人がなにか話しているとすぐ反論したくなる、議論に勝ちたがる
16 なにかとすぐに文句を言う
17 自己主張ばかりしている
18 政治や宗教の話も平気でする
19 セックスの話が大好き
20 聞き役にまわることなどほとんどない
21 相手をからかっては楽しんでいる
22 礼儀正しくするよりも、最初から平気で親しみを見せる
23 自分のプライベートなことでも平気で話す
24 人から変わった人と思われると喜んでいる
25 人からずうずうしい人と思われても一向に気にならない
26 周囲の目があればあるほど元気になる
27(男の場合)女と見たらすぐにロ説く
28(女の場合)男にすぐにスキを見せて、親しくなる
29 自分の本心をすぐにさらけ出してしまう
30 控え目にしているのが居心地が悪くて仕方ない
31 いつも自分から勝手に話している
32 芝居がかったことをするのが大好き
33 肉体的にもコンプレックスが少ない
34 外国人から日本の悪口を言われてもにこにこ嬉しそうに聞いている
35 人と会うといつでもにこにこしている
36 あちこちいろんなことに興味がある、特に英米に関心が深い
37 雑学的知識が豊富、特に英米のことはなんでもよく知っている
38 変わった食べ物を食べたり、変わった生活をするのが大好き
39 すぐに英米人の真似をしたがる、英米人にコンプレックスを持ち、憧れている
40 いつも人を観察していて、あれこれ想像している
41 想像力が豊かである
42 日本語で話している時も、決まり切った言い方をすることは少ない
43 常識がない
44 受験英語は嫌いであまりしていない
45 本を読む時は読むが、面倒くさがるほう
46 一人でいるとすぐに退屈してしまう
47 抽象的な考え方が得意
48 人に会うといつも自分から大声で挨拶する
49 知らない人でも平気で話しかける
50 その場その鳩で考えていることははっきりさせないと気がすまない
51 自分の意見をまとめるのが上手
52 なにごとでもとりあえずYES、NOが出てくる
53 考えも感情もかなり単純
54 人に会うのが好きで、人に気を使うのが好き
55 どういうわけか外国人とすぐに友達になる
56 自分がウケていないなと思ってもたいして気にならない
57 単語をゴツゴツ覚えるような退屈な作業もけっこう楽しくやっている

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 荒木さんは、子供にもどつて単純な表現欲求を思い出せと言われます。

 前回、57の英語を話せるようになりにくい性格をあげてみました。

 この57の性格を逆にしたものが英語を話せるようになるのに有利な性格ということです。

 その逆の性格はすべて一つの方向を向いているということに気づいたでしょうか。

 英語を話せない性格のリストの最初に

「子供の心が持てない」

項目を持ってきたのは偶然ではないそうです。

 英語にかぎらず外国語を話すようになる時、この「子供の心」が基本だからです。

 では、「子供の心」とはなんでしょうか。

 生まれたばかりの赤ん坊や4蔵くらいの幼児を思い浮かべて下さい。

 赤ん坊はなにかというと泣きます。

 電車の中だからとか、夜ももう遅いからという理由で泣くのを遠慮するような赤ん坊はいません。

 まわりの都合などはお構いなしにギャーギ泣いて、身体に何かついているとか、おなかがすいているとか、自分の要求を訴えるえるわけです。

 途中で黙つたりしないで、要求が満たされるまで身体全体で訴え続けます。

 3、4歳の幼児を考えて下さい。

 いつもお母さんのまわりをうろついて、わけの分からないことをしゃべっていたり、同じようなことを何度も聞いてみたり、突然怒って泣きわめいたりしています。

 いつもなにかを訴えていて、なにかを知りたがっています。

 途中で自己満足して控え目にするなんてことはありません。

 機能が休止しているのは寝ている時だけです。

 これが「子供の心」です。

 それはあくなき自己表現欲求と、環境への興味と同化欲求です。

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 荒木さんは、子供にもどつて単純な表現欲求を思い出せと言われます。

 この子供の心が人間に言葉という難解なものを身につけさせているのです。

 日本語でも英語でも、6歳くらいの子供が話している言葉がすでにいかにむずかしいものであるか、英語に四苦八苦してきた日本人はみな分かっているでしょう。

 アメリカの6歳児の話す英語にはすでに、過去や未来や単数・複数は当たり前のことです。

 未来進行形や完了形など私たちがすぐ分からなくなってしまう複雑な文法が、それも微妙な形をして入っています。

 発音もLとRの区別から、uncle(おじさん)とankle(くるぶし)の違いまですべてがインプットされています。

 もちろん、日本の6歳児もすでに同じように難解な日本語を話しているのです。

 このような驚嘆すべき仕事を人間にやらせているのは、子供の強烈な自己表現欲求なのです。

 英語を話せるようになる力も、この強烈な自己表現欲求だと言ってもいいでしょう。

 子供が年上の人を見て言葉を話してみたいという欲求にかられるように、世界の様々な人たちが英語を話しているのを見て自分も英語を話してみたいと思う欲求です。

 この自己表現欲求こそが、英語を話せるようになる学習の中でもっとも基本的な力として慟いているのです。

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 荒木さんは、”話せたらいいなあ”と”ぜったい話すよ”の違いを説明しておられます。

 知り合いの人に、ボランティアでキリスト教の伝導をしているアメリカ人がいたそうです。

 ある時、一人の日本人のサラリーマンがその人に英会話を教えてくれと頼んだのですが、その人は伝導の仕事で忙しいと言って断りました。

 「でも、どうしても英語覚えたいんです」と言って、その日本人は諦めませんでした。

 そのアメリカ人はいい人なのか、そこまで言われると考え込んでしまいました。

、「そうですね。じゃ、こうしましょう。いま僕は本当に忙しいので教えられないのですが、来年まで1年間まずNHKのテレビで勉強しませんか。」

 「毎朝英会話の番組やってますよ。それで分からないところだけ電話で聞いてくれたら、いろいろ教えられます」と言ったのです。

 すると、その日本人のサラリーマンは言いました、「それは無理です。朝は仕事に行く前だから忙しくて、テレビなんか見ていられませんよ」。

 「じゃ、夜うちに帰ってから毎日勉強したらどうですか。夜もやってますから」とそのアメリカ人は言いました。

 今度は「夜は会社のつき合いも多いし、仕事のあとで疲れているし、毎日テレビで勉強するってのはむずかしいですね」と、その日本人は言いました。

 すると、そのアメリカ人はちょっと言葉を強くして、叱るように、「そんなこともできないんですか? あなたは今、どうしても英語覚えたいんだって言ったばかりじやないですか」と言いました。

 確かにこのサラリーマンの方は「英語、話せたらなあ」という気が心のどこかにあったのでしょうが、どうやらその願望は強烈な欲求ではなかったのです。

 荒木さんは、以前、英会話を教えていた時、「英語が話せるようになる秘訣はなんですか。聞き取れれば話せるようになるなんてよく聞くんですけど」といった質問をよく受けたことがあったとのことです。

「ヒアリングでも、文法的知識でも、語參力でも、なにが得意でもいいけど、とにかくまず、俺は英語を話すんだ″と思うことですね。この気持ちさえ持ち続けていれば、曲がりなりにもなんとかなるもんですよ」と、よく答えたそうです。

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 荒木さんは、小さなことでも「強烈な欲求」にすれば飛躍的に伸びると言われます。

 ある時高校一年の生徒を連れてイギリス人の家庭を訪問したことがあったそうです。

 4、5人の大人ばかりが英語で話していて、その高校生はみんなの会話に加わることができませんでした。

 英会話の勉強なんてなにもやったことがないし、いわゆる外人と話したのもその男の子にとって初めての経験だったのです。

 なにか話したそうにはしているんですが、みんな早□でしゃべっていてなかなかチャンスがなかったのです。

 ところが、客の一人のちょっと気取ったイギリス女がデザートをおかわりした時、すかさず、

 Oh great stomach"(なんて偉大な胃!)

と大声で言ったそうです。

 たぶんgreatもstomachも彼にとって覚えたばかりの単語だったでしょう。

 みんなが突然大笑いし、その女性はちょっと顔を赤らめ、困ったようにしてデザートの皿をテーブルに戻しました。

 そこでまた何人かが笑いました。

 5、6年後、その男の子はうちに遊びに来て、近々アメリカの大学に奨学金をもらって留学することになったという報告をしていったということです。

 やはり高校生を何人か連れてアメリカンクラブのパーティに呼ぱれて行ったことがありました。

 行くとホールの中はもうかなり混んでいました。

 知り合いのアメリカ人を目で捜しながら、どこに座ろうかと考えていると、高校生の一人が突然なにも言わずに歩き出しました。

 どうしたのかと思って目で追っていると、ホールの真ん中のテーブルに行き、空いている席に腰を下ろしながらなにか言い、テーブルの人たちに手を出して握手しました。

 たぶん自分の名前でも名乗って握手を求めたのでしょう。

 そのうちにはテーブルに座っていた一人の男の人が立ち上がって、その子のために食事や飲み物を取りにビュツフエまで行くのが見えました。

 その子も確か外国人と話すのは初めての経験だったはずです。

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 荒木さんは、どうしても英語をモノにしたいんだよという気持ちが大切だと言われます。

 荒木さんは、まだ20代の時、ある会社のために通訳をやったことがあったそうです。

 5、6歳年上の課長さんに連れ添って、弁護士だというアメリカ人と奥さんを案内してまわりました。

 3日間の仕事が終わって、その課長さんに誘われるままホテルのバーで飲んでいると

 「あんたどうやって英語覚えたの。どっか外国でも行ってたの?」

って聞いてきました。

 「いろいろありましたけど、結局独学ですね」

と答えると、

 「独学? どんなやり方? テープなんか使ったの」

ってさらに聞いてきます。

 「ええ、いろいろ」

と答えたそうです。

 すると、

 「あんたが使ったっていうテープとか教材買って来てくれない? それで、どうやって覚えたのか教えてよ。俺も同じようにやるからさ」

と言いますので、

 「英語勉強するってことですか」

って言うと、

 「そう、そう思ってるんだけど、どんなやり方がいいかなんて考えていても結局分からないからさ。」

 「一応あんたは英語で仕事できるまで覚えたんだから、同じやり方をやってみようと思ってるんだよ。それで、もちろん授業料払うからいろいろ教えてよ」

て言ってきたそうです。

 なにか変わった人だなあっていうのがその時の印象でした。

 ふつう5、6歳年下の男のやり方をそっくり真似しようなんて思う人は少ないです。

 また、勉強の仕方もネイティブースピーカーがどうのとか、サロン式メソッドがどうのとか、なにやかやと理屈をつける人が多いのです。

 その課長さんはそれから1年半後、その会社としては初めて海外に開いた事務所の責任者としてニューヨークに渡って行きました。

 その後半年ほどして届いた手紙には、ニューヨークの英語はまだまだむずかしいけど、友人もできてそれなりに生活もエンジョイしていると書いてあったそうです。

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 もう65歳を過ぎた方で、今ある外資系の会社で社長をやっている人がいるそうです。

 その人は第二次大戦のために英語などほとんど勉強しないで大人になってしまったのですが、ずっとどうしても英語を身につけたいと思っていました。

 たまたま家が近かったので行きつけの喫茶店でよく顔を合わせるようになり、すぐに英語の勉強の話をするようになりました。

 その人は40歳を過ぎてから英語の勉強を始めたというのです。

 どのようなやり方をしたのか聞いてみると、ただ毎日うちに帰ってから大声を出して英字新聞を読んでいたということでした。

「英会話学校になんか行って、コーヒーとティーとどっちが好きかなんて話したくないからね」

ということでした。

 そのうち

「発音の仕方や文章の意味など分からないところが多いので週一度くらい見てくれないか」

ということになったそうです。

 その人はその後もずっとその人流のやり方で勉強を続けているようです。

 その人の部下の話では、会社の日本人の中ではその人が一番英語がうまいんじやないかということです

 この事例は

「外国語をどうしても話してみたい。外国人の中でも自己主張したい」

という、本来人間なら誰でも持っている強烈な欲求のささやかな例です。

 みんななり振り構わず自分の欲求の実現へとまっすぐに進んでいこうとしているのがお分かりでしょう。

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 荒木さんは、どうしても英語をモノにしたいんだよという気持ちが大切だと言われます。

 英語が話せるようになりたかったら、「自己表現欲求」を奮い立たせ、持続させ一層強烈なものにすること、これが始まりです。

 すべてはこの欲求についてきます。

 ところが私たちの心の中では、この見方によれば非常に子供っぽい欲求を、抑え込もうという力が複雑に微妙に、時には獣嵐に働いてしまっています。

 獣嵐とは、「我が本性は獣 嵐の如き破壊の力」です。

 大ざっぱに言って、私たちの心に巣くうこの陰険な力が、英語を話させない足かせなのです。

 いかにしてこの「足かせ」の陰険な力の魔力を削ぎ、「自己表現欲求」を解放し、一層強烈なものにしていくかがテーマです。

 子供の心にも通じるこの原始的エネルギーを解放して、「どうしても英語で話すんだ」という気持ちを心に刻んで下さい。

 道は一直線になってあなたの前に開けます。

 まず子供の気持ちを思い出し、子供に帰ってみて下さい。

 テレビの英会話番組も、この小学校の1、2年生の気持ちに帰って見てみることです。

 いろんなことが分かってきます。

 子供の心に帰って聞き耳を立てると、英語の発音にはカタカナではとても表しようがな
い音がたくさんあるのに気づくでしょう。

 いや、たくさんあるどころか、ほとんどの音が私たちがふだん日本語で使っている音とは全然違うことに気づくはずです。

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 荒木さんは、ある大変興味深い実験を紹介しておられます。

 日本語はほとんどできないカナダからの帰国生に、カタカナで英語の単語を書かせたことがあったそうです。

 その中学生になったばかりの子はカタカナの表を見ながら四苦八苦して書いていました。

 たとえばoneからtenまで、どう書いたのでしょうか。

 oneはワンと書きました、twoは口の中でぶつぶつ言いながらかなり考えた末、チューと書きました、threeは意外に早く決断してフリーとなりました。

 fourはすぐにフォーにしました、fiveはファイまではよかったのですが、vの音でつまずいた末ファイグと書きました、sixはおもしろいことにセクスになりました。

 sevenはセブンとなりました、eightはエイだけでした、nineはナインでした、tenはチェンとなりました。

 また、whiteはワイでredはウレで、willはウィウでmilkはミウクで、theyはデイと書き、dayもデイで「なんだ同じじやないか」と言って笑って、「よく分からない」って言ってたそうです。

 この実験は、いかに英語の音は日本語で表すことがむずかしいかを物語っています。

 この音のむずかしさは単語だけではありません。

 虚心に聞くと、たとえば、Put on itもput/on/itでなくputoniという習ったこともない一つの単語のように、on a dayはanadayのように聞こえてきます。

 新しい音を聞き取り発音しようと思ったら、子供がまわりの人の話に耳を傾けその発音を真似するように、英語の発音に耳を傾け聞いたまま口に出してみるしかありません。

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 荒木さんは、正しい英語なんておばけのようなものだと言われます。

 「子供が話すように話してみましょう。もう大人になってしまった人がそんなことできるわけがない」

 と思うでしょうか。

 荒木さんが言いたいのは、話すということは必ず自己表現であり、なにかを伝えることであり、この原点に帰って話そうということです。

 この子供の心に帰って話そうとすることがすべての道を開くのです。

 「人はなにかを表現し、伝えるために話すのだ」という当たり前の考えが分かった時、大きな変化が起きます。

 正しい英語、正しくない英語などというものはないのだということが分かってくるのです。

 正しい英語なんて、誰もが口にするけど、実際には誰も見たことがないおぱけのようなものにすぎないということに気付きます。

 正しい英語におびえるのは、どこにもいないおばけにおぴえるようなものだということに気づきます。

 いい英語、よくない英語というものも消え去ります。

 かわりに、自分の表現したいことが表現できたか、それが伝わったかどうか、伝わった
とすればどこまで伝わったかだけが問題になります。

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 荒木さんは、自分の表現したいことが表現できたか、それが伝わったかどうか、伝わったとすればどこまで伝わったか、が問題になると言われます。

 私たちが日本語で話している時、事実関係や気持ちや感情など、こっちの表現し伝えたいものは、いったいどこまで表現され、また伝わっているでしょうか。

 なかなかうまくいくものではありません。

 1時間も話していたのに、話す前と同じ質問をされることがよくあります。

 ビールでも飲みながら3時間も話していたのに、相手はこっちの言いたいことはなにひとつ分かっていないなんてことは日常茶飯事です。

 それでも私たちは毎日話しています。

 自分を表現してなにかを人に伝えたいからです。

 英語を話すのもまったく同じことです。

 正しい英語を話そうなどという気持ちを捨てて、ただ表現し伝えようと思って下さい。

 正しくていい英語でと思っていたらなかなか言えるものではありません。

 でも、相手に伝える英語と思えばすぐ言えます。

 表現したいことがほとんど表現され、伝えたいことはほとんど伝わっていけばよいのではないでしょうか。

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 荒木さんは、礼儀正しさなんてどっかへ捨てちやおうと言われます。

 礼儀正しいというか、礼儀ばかりを気にしているというか、こういう人ほどつまらない、
退屈な人はいないでしょう。

 人が話していても反論もしてこなければ、エッチな話もしなければ、政治や宗教の話もたいていサラッとしかしません。

 礼儀正しくお辞儀や挨拶はしっかりやるけど、実態がなくて……。

 こういう人は英語を話しても、失礼にならない表現なんてことばっかり気にしてしまいます。

 そのあげく、いつもジャパニーズ・スマイルを浮かべてにこにこしているだけ、ってことになっちやいます。

 この礼儀というおぱけの親戚に囚われていたら英語はうまくなりません。

 この足かせから自由にならなければなりません。

 もしあなたがあなた自身のことをこういう種類の人だと思ったら、

「なにかを表現し、伝える」

という言葉の原点に意識を集中して下さい。

 すぐに話すことが浮かんできます。

 なにもむりに崩れた言い方をする必要もなければ、話したくもないことを話す必要もありません。

 あなた流の礼儀正しい言い方で、あなたが表現したいことを素直に言えばいいのです。

 相手のプライバシーに関わることだからといって迷いそうになったら、

  May I ask your some personal questions?(ちょっと個人的な質問していいですか)

と前もって聞けばいいのです。

 "No"と言う人は誰もいません。

 ・・・・・・

 荒木さんは、「いい英語」への近道について語っています。

 「いい英語」つて、いったいなんでしょう。

 もしそんなものがあるとしたら、それは表現したいことがよく伝わった英語が「いい英語」つでことじゃないでしょうか。

 反対によく伝わらなかった英語が「よくない英語」ということになるわけです。

 日本人が英語を話すのは、野球の試合でバッターがバッターボックスに入る時と似ています。

 あまり当たっていないバッターはバッターボックスに入りながらいろいろなことを考えるでしょう。

 この頃はフォームが崩れているとか、この試合で打てなかったらスタメン落ちかなとか、お客さんにも野次られるし、チームのみんなにはナメられるだろうし……

 考え出したら切りがありません。

 でも、バッターによってはただ塁に出ることだけを考えて打席に入るひともいます。

 デッドボールだろうがエラーだろうがなんでもいい、とにかく塁に出よう。

 フォームがどうの、お客さんに野次られるからどうのなんて考えもしません。

 ただピッチャーが投げた球を打ち返すだけだと考えているのです。

 3、4歳の子供がお母さんに一生懸命話をしている時、その子は後者のバッターの心境でしょう。

 後先のことを考えているわけでもなければ、周囲の目を気にしているわけでもありません。

 ただ自分の考えや感情や発見を表現し伝えようと思っているだけです。

 子供はこれを母親への依存の中で、言い方を変えれば、母親に全面的に甘えることによって安心してやっているのです。

 もしこの甘えが許されなかったら、子供は不安を感じ無心な自己表現は行われないでしょう。

 不安を感じるとバッターが球に集中できないように、人間は自己表現が抑えられてしまうのです。

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 不安を感じるとバッターが球に集中できないように、人間は自己表現が抑えられてしまいます。

 私たちが英語を話せるようになるのも同じことです。

 雑念を捨てて、ピッチャーが投げた球を見極めて打ち返すことだけに集中しなければなりません。

 恥ずかしいとか、間違ったらどうしようとか、発音はどうかなとか考えていたら言葉は出てくるものではありません。

 そして子供のように一種の甘えの中でただひたすら自分を表現しなければなりません。

 このプロセスを通過した人だけが外国語をモノにできるのです。

 言葉を変えれば、英語を話せるようになろうと思ったら、子供のように無責任な露出症になって裸でぶつかっていかなければならないのです。

 実際、英語を話せるようになった人はみんな子供に帰ってもう一度言語を身につける過程を通過しています。

 時々街中で、英会話学校の帰りという感じで外国人を囲んで、おじさんたちがはしゃいで話している姿を見受けます。

 なにか子供っぽく見えると思いませんか。

 実際見えるだけじゃなくて、かなり子供に戻っているのです。

 幼稚園児くらいの言葉を話していると、気持ちもまた子供帰りしてしまうのです。

 ・・・・・・

 荒木さんは、下手なりにも自分は英語を話せるという自信がついたときのことを語っておられます。

 生の英語に初めて接したのは、高校を終えて浪人をしていた時だったそうです。

 あるイギリス人のジャーナリストと知り合いになり、受験勉強はそっちのけでその人のうちによく遊びに行くようになったのです。

 そのまま大学に入ったあともよくお邪魔していたとのことです。

 でも、残念ながら英語を話すほうはあまり上達しなかったそうです。

 その後、2年たって今度はアフリカ系のアメリカ人と知り合いになりました。

 イギリス人のジャーナリストと違って互いに年齢も近かったし、趣味も音楽など共通なものが多かったのです。

 人種的にも有色人種どうしで気安いということもあって、いわゆる。肌が合った″という感じでした。

 そのアメリカ人と私は毎日のように会い、夜遅くまで、時には明け方まで飲みながらいろんなことを話すようになりました。

 一緒にガールハントをしたりしながら、自分の家庭の問題から学校生活の不満や将来の夢までなんでも話しました。

 いま思い出すと、そのアメリカ人は聞き役をやっていたことが多かったそうです。

 荒木さんはそのアメリカ人と「気が合っていて、かなり安心して甘えていた」ために自分のことは弱みから自慢話まで、子供のようになんでも話せました。

 そのアメリカ人は「気が合っていて」、また優しいひとでしたので、荒木さんの子供っぽい話、子供っぽい英語を面倒くさがらずに受け入れてくれたのでした。

 そのアメリカ人との1年半くらいのつき合いの中で、イギリス人とのつき合いではできなかった小学生から大人までの役割を演じるプロセスを通り抜けることができたのです。

 1年半くらいしてそのアメリカ人が帰国した頃、下手なりにも自分は英語を話せるという自信がついていたそうです。

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 荒木さんは、保守的な人とは自分の殼に閉じこもって出て来ようとしない人、だと言われます。

 ずっと続けてきた生き方やずっと持っていた考えなどを、どういうわけか変えない人です。

 「つまらない人だなあ」と思う人にあったら、その人が。保守的”な人である可能性は相当高いでしょう。

 また、あなたが「嫌みな人だなあ」とか「きどりやがって」と言いたい人に会ったら、その人もまた保守的な人である可能性はかなり高いと思って間違いありません。

 保守的な人とは誰からも排撃されることはないけど、誰からも好かれない人です。

 よっぽど弱虫の人以外、たいていの人がつき合いたがらない人です。

 保守的な人をこだわりの強い人と思う人がいるかもしれませんが、必ずしもそうとは言
えません。

 むしろ、保守的な人とは、自分の勇気のなさ、自分の努力嫌いをごまかし、正当化している人なのです。

 私たちは誰でも勇気はなく、努力は嫌いなのですからみんなかなり保守的です。

 この保守性とは、それまで未知のものだった外国語を学ぶうえでは、大きな足かせなのは説明するまでもありません。

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 荒木さんは、問題はどうやって私たちみんなの身体の隅々まで沁み込んでいるこの保守性を乗り越えるかということだと言われます。

 方法は単純です。

 今まで食べたことのない食べ物を食べ、今まで会ったことのない人に会い、今まで読んだことのない本を読んでみることです。

 要するに、新しい経験や考えや感情などを追求しながら、今まで大事にしていたものを捨て、やってきたことを少しでもやめてみることです。

 子供に帰ることです。

 でも、こうするには勇気がいるし、なによりも努力が必要です。

 でもそんなこと面倒くさいので、みんななまけて、やれ常識だ、やれ習慣だ、やれこだわりだと言いわけをしているのです。

 荒木さんは、この保守性も、度が過ぎるとこれほど嫌みなものはないと言われます。

 もしあなたが英語を身につけたいのに、自分をかなり保守的なタイプだと思ったらどうしたらよいでしょうか。

 意志の力を使って今まで食べたことのないものを食べ、聞いたこともない音楽を聞き、会ったこともない人に会うようにしてください。

 特にアメリカやイギリスやオーストラリアなどの文化や事情に目を向けるようにしてください。

 人間って、分かってくるとそのことに興味が起きてくるものです。

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 スナックでいつも同じウイスキーばかり飲んでいないで、たまにはバーボンのボトルでもとったらどうでしょう。

 毎回違うバーボンを頼んだりして、いろいろラペルを見ているだけでも様々なアメリカが浮かんでくるかもしれません。

 さらにもう一歩進めて、カリフォルニアーワインなど飲ませる店に足を運んでみるのもいいでしょう。

 ペリンジャーなどを飲んでいるうちに、カリフォルニアのワイナリーを訪ね歩いてみたくなったら大成功です。

 また、いつもカラオケばかり歌ってないで、たまにはライブハウスにでも行ってみて、あちらのバンドを生で見るってのもけっこう刺激になります。

 言語を学ぼうとする時、その言語が話されている文化や民族に興味がないということは致命的なことです。

 子供だってもし自分の周囲の世界に無関心だったら、言葉なんて覚えようともしないでしょう。

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 荒木さんは、曖昧な考え方、抽象的思考をすすめておられます。

 私たちは英語でなにか言おうとした時、まず日本語で考え、それから英語に直そうとし
ます。

 最初のうちはこれは仕方のないことですし、英語が相当うまい人でもある程度はこ
のプロセスは逃れられないでしょう。

 でも、この頭の中で素早く翻訳の作業をする時、日本語の形だけにとらわれないで、その日本語の背後にある抽象的意味に注目して下さい。

 たとえば、

「おれは彼女といると幸福なんだよな」

という日本語が浮かんで、それを英語で言いたくなったら、

 When I was with her, I am happy.

でもいいですが、

「彼女はおれをいつも幸福にしてくれる」

と言ってもあまり違いはないなと考えて

 She always makes me happy.

と言ってもいいわけです。

 このような例は無数にあります。

 理屈で説明するよりも多くの実例に接するのが一番です。

 この際、やはり子供の心境に帰って、日本語とそれに対応する英語を虚心に見つめて下さい。

 その違うところと同じところが目に見えるように具象的に浮き上がってきます。

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 荒木さんは、頭の中で素早く翻訳の作業をする時、日本語の形だけにとらわれないで、その日本語の背後にある抽象的意味に注目して下さいと言われます。

 日本語では、帽子はかぶり、シャツは着て、ズボンや靴ははいて、眼鏡はかけますが、英語では全部 wear です。

 要するに、この場合英語では動作の細かいところは気にしないで、身につけるという本質的なものだけに注目しているのです。

 なんでもいいから身につけることが wear か put on なのだと分かると、口紅を塗ることも(身につけるのだから)wear lipstick でいいということが分かります。

 英語で便利であると同時に意外に分かりにくい言葉が have です。

 辞書を見るといろいろ分けて意味が書いてありますが、辞書の意味など気にしないで、 have はいつも「持つ」か「持っている」の意味だと考えて大丈夫です。

 日本語では、″目に見えて、手に触れられる物”しか持たないですが、英語では、事件でも、行事でも、病気でも、感情でも、なんでも持つことができるのです。

 ですから、

 おなかが痛いは「腹痛を持つ」で have atomach ache となり、

 授業があるは「授業を持つ」で have a class でよく、

 昼食を食べるは「昼食を持つ」で have lunch でよく、

 困るは「面倒を持つ」で have a trouble になるわけです。

 また

 楽しい人生を生きるは「楽しい人生を持つ」で have a happy life となるわけです。

 とにかく英語ではなんでも持ってしまうのです。

 虚心に人の動きや生活を眺めて見ると、たとえばパーティをしている人は「パーティを持っている」と考えてもいいような気がしてきませんか。

 パーティにも一連の行動がありますし、その一連の行動を”する”と考えてもいいのですが、その行動を一時的に持つと考えてもいいようには思えませんか。

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 荒木さんは、まずなにか言ってしまってから考えるのか正解と言われます。

 なにか質問されたら、黙ってないでとにかくなにか答えるようにします。

 なにを言っでいいのか分からなくても、Yes か No かをまず言いましょう。

 それから考えればいいのです。

 下手に考えてしまって、正しい、いい英語でも話そうなんて思うと、頭の中が混乱します。

 喉がつまってしまって、出るものも出なくなってしまいます。

 自分から話す時も同じです。

 Well でも何でもいいし、咳払いするのでもいいのです。

 とにかくまずなにか声に出してみてください。

 場所を聞きたいと思ったら Where と言ってから、

 日にちを聞きたいのだったら When と言ってから、

それから考えればいいです。

 自分のことを言うのだったら I とまず言ってしまいましょう。

 相手のことだったら You と言ってしまうのです。

 本当に言いたいことは、それから考えましょう。

 曲がりなりにも意外にスムーズに次の言葉が出てくるものです。

 決断してまず最初の言葉を吐き出すのです。

 ここまで来ると一つのことが明確になったと思いませんか。

 それは、”英語が話せる性格”とは一時的にせよ子供に帰ることができる性格です。

 反対に”英語が話せない性格”とは照れてしまったり、シラケてしまったり、大人ぶったりして、子供に帰ることができない性格ということです。

 先に挙げた57の足かせの大部分は、子供に帰ることのできない具体的な例だったのです。

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