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Love&Love英語でメキメキ!!上達コーナー
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◆山元賢治・小西麻亜耶氏の人生を変える英語力”から
山元賢治氏は、神戸大学を卒業して日本IBMに入社しました。日本オラクル、ケイデンスを経て、EMCジャパン副社長となりました。2002年に日本オラクルへ復帰し、専務として営業・マーケティング・開発の責任者となりました。2004年にスティーブ・ジョブスに指名され、アップル・ジャパンの代表取締役社長に就任しました。iPodビジネスの立ち上げからiPhoneを市場に送り出すまで、国内の最高責任者としてアップルの復活に大きく貢献しました。現在は株式会社コミュニカのFounderとして自らの経験をもとに、「これからの世界」で活躍できるリーダーの育成と英語教育に力を注いでいます。
小西麻亜耶氏は株式会社コミュニカ取締役副社長です。18歳のときに米ハーバード大学で言語学に出会いました。2007年に慶応義塾大学を卒業後、米コロラド大学で言語学の修士課程に進学し首席で卒業しました。2009年に三菱UFJモルガン・スタンレー証券に入社し、NTTデータや豊田通商のM&A案件のアドバイザリー担当としてキャリアをスタートしました。2011年に日英同時通訳・翻訳家として独立しました。2012年に元アップル・ジャパン社長山元賢治氏にその英語力を認められ、株式会社コミュニカに入社しました。独自に開発した英語発音矯正プログラムで、全国から集う生徒は2,000名以上です。
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最初に山元さんは、英語学習で最も大切なことについて語っておられます。
山元さんは帰国子女でもなく、海外留学経験もないとのことです。
大学を卒業して社会人になってから、海外出張を経験することになったそうです。
しかし何度かの例外を除いて、弾丸ツアーのような短期出張がほとんどでした。
では、長期的な海外滞在がなかったのに、どのようにして最前線で仕事をしていけるだけのビジネス英会話力を身につけたのしょうか。
山元さんが取り組んできた勉強法やキャリアには、多くのヒントが隠されているようです。
本書の特徴は二つあると言われます。
一つ目は、IBMやオラクル、アップルでの勤務経験を経て導き出した「海外で働くために必要な英語力」について書いていることです。
・日本人がその英語力の低さによってどれだけ損をしているか
・どうすれば帰国子女でもなく、留学経験もない人が、世界で通じる英語力を身につけることができるか
もう一つは、共著者の小西麻亜耶さんによるコミュニカ・メソドロジーの解説です。
コミュニカ・メソドロジーとは、コミュニカが独自に開発した英語教育の方法論です。
具体的には、以下の要素が組み込まれています。
・DYE(Design Your English)メソドロジー:自分が話したい内容を、かっこいい英語で表現できるようにします。
・Phonology(音声学)ルール:発音を徹底的に重視し、よりスムーズでネイティブに近い発音を目指します。
・ビジネス経験の活用:アップルジャパンの社長を務めた山元賢治さんが、自身のビジネス経験を元に開発に携わっています。
・言語学の専門知識:言語学者の小西さんが、DYEメソドロジーの開発からレッスン講師までを担当しています。
コミュニカの英語教育は、教科書では学べない本物の英語を教えることを目指しています。
正解を気にしすぎて話せなくなるという状況を打破し、自分を表現するツールとしての英語を習得することを目指しています。
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現場で聞こえてくる英語を「耳」で吸収してきた山元さんのやり方は、自己流英語だったそうです。
それが、小西さんと出会うことで、言語学的・論理的な裏付けが加わったということです。
特にお二人が主宰するコミュニカ英語塾が独白に開発したModulationルールによって発音がスムーズになり、ネイティブに近くなったようだと言われます。
Modulationとは、単語が組み合わさり文章になったときに起こる音の変化をルール化したものです。
たとえば、単語の最後の子音が次の単語の先頭の母音と連結して新しい「音」を形成します。
コミュニカ英語塾は、徹底的に発音に重きをおいているとのことです。
山元さんは、外資系企業勤務時代、もっと短く的確に伝える英語表現があるはずだと常に感じていたそうです。
自分の話す英語は必要以上に長く、会話のリズムを壊していると感じておられたようです。
アメリカ人は、たくさんの事をシャープな表現の中に短くまとめて弾丸のように打ち込んできます。
しかもその英語は、実に端的で腹に響いてきて、韻を踏んでいたりして音としてもきれいに聞こえてきます。
小西さんが体系的にまとめあげたメソドロジーで、全体が流れるような音で聞こえてくる仕組みを理解することができたそうです。
そのおかげで、それまで苦手だった発音の問題点がクリアーになったとのこです。
不思議なもので、自分の発音が正しく流れるようになってくると、これまで聞こえなかった英語の文章がどんどん聞こえてくるようになってきたと言われます。
つまり、突然、自分の耳に英語用の穴が開き、英語が一気に流れ込んでくるような感じです。
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小西さんはアメリカやインドネシアで幼少期を過ごした、いわゆる帰国子女です。
慶座義塾大学卒業後、コロラド大学大学院で言語学を修め、アメリカの大学でアメリカ人に英語を教えていたという稀有な人材です。
コミュニカの英語事業部長として、英語教育のメソドロジーの開発からレッスン講師まですべてを担当しています。
レッスンでは、山元さんがサブ講師を担当しているそうです。
山元さんのビジネス現場の経験と、小西さんの言語学が融合したのがコミュニカ・メソドロジーとのことです。
これまで、様々なビジネス英語学習書が出版されましたが、多くはビジネスパーソンとしての経験に基づいた独学法か、英語講師による参考書のいずれかのようです。
約30年にわたる山元さんの外資系企業勤務経験と、言語学を修め5ヶ国語をあやつる小西さんによる英語学習メソッドのエッセンスを凝縮させたそうです。
世の中には英会話レッスンが数多くあるにもかかわらず、なぜ多くの日本人は依然として英語を話すことができないのでしょうか。
発音や聞き取りの練習は当然必要ですが、それ以前に英語学習において最も大切なことがあるといいます。
それは、「自分は英語によって何を伝えたいのか」ということです。
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山元さんのビジネス現場の経験と、小西さんの言語学が融合したのがコミュニカ・メソドロジーとのことです。
「日常会話レベルくらいはできるようになりたい」という目標をかかげる人をよく見かけます。
しかし、すべての領域についてネイティブレベルで会話することはきわめて難しいでしょう。
目指すべきなのは、自分が「英語を使って伝えたいこと」に焦点を絞り、その領域に関して確実に会話すること」です。
特にビジネス英語においては、英語の文法やきれいな発音を勉強するだけでは不十分です。
ビジネスの世界で責任と覚悟をもって発言することが必須です。
英語を使って何を伝えるか。
それを深く考えることは、自分の人生をデザインすることでもあります。
山元さんは、自分がもっと早くからコミュニカ・メソドロジーを知っていれば、もっと英語で挑戦的に仕事ができたかもしれないと言われます。
そこで、本書をきっかけに勉強を始めていただきたいとすすめておられます。
そうすれば、自分よりもっと近道で本物の英語に近づけるはずだということです。
みなさんの英語力向上、そして人生に、多くのヒントや道筋を示すことができることを願っていると言われます。
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山元さんは、帰国子女でもなく海外留学経験もないと言われます。
しかし、外資系企業、それもAppleのような本国からの要求がきわめて厳しい企業で、日本支社の社長を5年間務めました。
そして、日本での、Appleの売上を復活させることができました。
そこで、ここでは、学生時代の英語力がどの程度だったのか、どのように海外のビジネスパーソンと渡り合ってきたのかを紹介していただけます。
さらに、どのような経緯でアップルジャパンの社長となったのかについても、英語にまつわるエピソードとともに時系列で説明していただけます。
山元さんは、エンジニア、マネージャー、支社長を経験してきています。
それぞれのキャリアで求められる「英語の質」は、異なっていたそうです。
そこで、学習者が得たい英語力がどのようなものなのか、ご自分の人生に引きつけて読んでいただきたいとのことです。
学生時代の英語経験は、おそらく読者のみなさんと大差ないでしょう。
小学生の頃までは、せいぜいローマ字をきれいに古くことに熱心だったくらいで、英語そのものに接する機会はほとんどなかったようです。
英語への関心が高まるのは、中学生になってからです。
きっかけとして、最も記憶に残っているのは、中学生の頃に初めて映画館で観た映画「スティング」だったそうです。
ポール・ニューマンやロバート・レッドフォードの演技や衣装、音楽や映像の美しさ、ストーリーの展開やどんでん返しに感動したと言われます。
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山元さんは、映画での俳優さんの演技や衣装、音楽や映像の美しさ、ストーリーの展開やどんでん返しに感動したと言われます。
英語でテンポよく繰り返される会話のリズムやイントネーションそのものに、音楽を聴いているような美しさがあると感じたのです。
それ以来、劇場で観てきた映画のほぽ全てが洋画で、今でも毎週1本以上の洋画を楽しんでいるとのことです。
そして、もう一つのきっかけになったのは音楽です。
ちょうどその頃、ビートルズの音楽に陶酔している友人と出会ったそうです。
まさに衝撃的な体験だったのは、それまで聴いていた日本の音楽とはまるで違う感動を覚えたことです。
中学2年生の合唱大会では、みんなでビートルズの”Let it be”を歌ったことを鮮明に覚えているとのことです。
山元さんは、とにかくカッコいいと思ったと言われます。
その頃から、一つ一つの単語の意味を辞書でチェックするという学校の勉強よりも、英語そのものの美しさに憧れを抱くようになったのです。
同じ頃、クラスに帰国子女がいたことも、山元さんの英語観を大きく変えてくれたそうです。
それは、学校の英語の先生とまるで発音が違っていたのです。
どちらが本当の英語なのかは、中学生の山元さんにも明白でした。
それ以降は学校の先生の中で、その帰国子女ほどカッコよく英語を話せる人とは一人も出会うことがなかったそうです。
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当時の山元さんは、本場の英語に憧れを抱いていました。
でも中学校の英語教育に関しては、英文法と英熟語の記憶力が試されるだけと懐疑的でした。
とはいえ、それはそれと割り切って受験勉強も真面目にやっていたそうです。
これでは、生きた英会話は全くできないことを自分で分かっていました。
ただ、YES/NOがはっきりしている英語という言語は、自分の肌に合っているという感情は芽生えていたと言われます。
高校生の頃は、正解か不正解かが重要視される受験英語には疑問を感じたそうです。
つまり、言語は人と人がコミュニケーションをするためのもののはず、という思いを抱いたそうです。
そのため、大学入学を機に英語を話せるようになりたいという気持ちが強くなりました。
しかし、大学の教養部で教えてくれる英語も、高校時代と変わらず文法を教え何が書いてあるかを一生懸命理解させる教育でした。
これでは、英語が話せるようにならないことは一瞬で判断できます。
大学の授業に失望した山元さんは、当時の価格で30万円もする英語教材を購入したそうです。
大量の教科書とテープ、そしてなぜか教科書を全てしまえる木製のラックが付いていました。
ローンまで組んで購入した教材なので一生懸命取り組みましたが、ただテープを聞いでいるだけで英語が話せるようになるほど甘くないと気づいたと言われます。
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山元さんは、むかし、ローンまで組んで30万円もする英語教材購入し、一生懸命取り組んだそうです。
しかし、ただテープを聞いでいるだけで英語が話せるようになるほど甘くない、と気づいたと言われます。
これは教科書を真面目に勉強すれば英語を話せるようになると考える、典型的な残念な人のアプローチとのこと。
日本人に多いアプローチでもあります。
この英語教材は、その後、就職・結婚を経て何度か引越ししても、高価なものなのでなかなか捨てられませんでした。
その後、未開封のテープも数本残っている状態でサヨウナラしたそうです。
大学の工学部では、いくつかの講義で、英語の原書を教科書として使用する場合があったということです。
しかし、当時の実力では、他の日本人と同じく、一言一句、辞書に頼って読み解くのが精一杯でした。
まだ電子辞書も行き渡っていない時代で、無駄に時間のかかる作業だったことも確かです。
また、英英辞書を使いこなすほど、ボキャブラリーもありませんでした。
学生時代の英語の能力はたいしたものではなかった、と山元さんは言われます。
それでも英語への好奇心は常にあり、逃げたいとか、憂鬱だという苦手意識を持つことはありませんでした。
この好奇心があったおかげで、その後のビジネス人生を、英語を駆使して切り開いていけたと思うと言われます。
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山元さんは、英語は目的ではなく「手段」であると言われます。
就職に関して、高校時代からIBMという会社に強い憧れを抱いていたそうです。
大学もそのために選んだので、就職活動に全く迷いはなかったとのことです。
IBM以外の企業には、就職活動すらしなかったといいます。
その憧れを実現するために勉強に勤しみ、世界一のコンピュータの会社で思う存分自分の力を発揮したい、という夢をかなえることができました。
外資系企業に進みたかったのではなく、憧れた企業がたまたまアメリカ資本の会社だったというわけです。
これが、山元さんのビジネス人生の、生きた英語習得の道のスタートだったのでした。
当時、コンピュータサイエンスの世界のリーダーは圧倒的にアメリカでした。
山元さんは、世界の変化をリードする会社に入りたいと強く思い、その結果として英語が必要な世界に飛び込むことになったわけです。
当時のIBM社内には、帰国子女など、英語に苦労しない社員も多く、プレッシャーを感じる部分もあったそうです。
でも逆に、闘志に火がつくことの方が多かったといいます。
英語ができる社員よりも、山元さん配属された製造開発部門のほうが挑戦的でおもしろい仕事のチャンスが巡ってくることは明らかでした。
製造開発部門では営業部門と違って、直接のコンタクト先がアメリカ本国であることがほとんどであったからです。
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人間は失敗から学ぶといいます。
山元さんのビジネス英語は、まさに失敗からのスタートだったと言われます。
挫折を昧わったのは、初めての海外出張のときです。
山元さんの初めてのアメリカは、テキサス州のダラスだったそうです。
海外出張は、基本的にいつも一人でした。
Hertz レンタカーの地図だけを頼りに、一人でアメリカ中を運転しなければなりません。
まだ、今のようにカーナビも整備されていません。
予定日に無事に到着できるかどうか、ドキドキの時代でした。
また、レンタカーの返却場所が分からず心細くなったりしたそうです。
初めての出張は、興奮と失敗の連続でした。
ハイウェイでFMラジオから流れてくる音楽を聞きながら運転するのは気持ちよかったようですが、上手く車線変更ができず失敗したことも度々あったとのこと。
そして、アメリカで最初に入ったお店はマクドナルドだったと言います。
なぜなら、勝手が分かっているので安心だろうという気持ちでした。
しかし、ここで耳にする現地の店員さんの英語には冷や汗をかいたそうです。
店員さんには「スマイル」もなく、日本語英語でいう「テイクアウト」という表現も使いません。
下を向きながら小さい声で To go or for here? と聞いてきました。
一瞬何を言っているのか聞き取れなかったとのこと。
でも注文の流れから、「お持ち帰りかどうか」の確認だと察知しました。
そして、for here と答えることができました。
これが、山元さんのアメリカでの第一歩だったそうです。
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山元さんの最初の出張の目的は、日本の半導体・プリント基盤開発部門が導入を計画していた電気系CADやシミュレーションソフトに関してでした。
具体的には、導入した場合の技術的問題点や導入後の協業などについて調査することです。
しかし山元さんは、満足な結果を出すことができなかったそうです。
内容的にきわめて専門的だったこともありますが、何より英会話がイケてなかったからでした。
正解・不正解を重視する、日本式の「マルペケ英語教育」が重くのしかかっていたのでしょう。
過去形か過去分詞形なのか、現在形か現在進行形なのか、時制は合っているのかなどが気になってしまい、たどたどしいリズムで話していたとのことです。
その結果、コミュニケーションとしてのリズムはボロボロで、お互いが準備したこと以上の情報や知識を引き出すことができませんでした。
とはいえ、業務上、最低限必要な情報は入手できましたので、目的は達成したと考えても卑怯ではないかも知れません。
しかし山元さんは、この時、日本式英語と決定的に決別する必要性を強く感じたのでした。
そもそも、自分が話す言葉が正しいか正しくないか毎回考えながら会話するなんてナンセンスでしょう。
それでは、人と人が心を開いて情報や情熱を交換することなどできません。
コミュニケーションにおいて、一番大切なのはリズムだと感じたそうです。
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山元さんは、人と人が心を開いて情報や情熱を交換するとき、コミュニケーションにおいて一番大切なのはリズムだと感じた、と言われます。
相手が話す、自分が適度な速度で答えを返すという、キャッチボールのようなリズムが必要なのです。
確かに文法は大切です。
しかし、会話にはもっと大切なことがあります。
助詞や助動詞、動詞の時制に頭を支配されるのではなく、肝心の「内容」をリズムよく相手に答えとして返すことです。
頭ばかりではなく、心で会話しなければお互いの心は通じ合いません。
その後の2回目の海外出張では、日本の英語教育から卒業することを決意していたそうです。
過去形か過去完了形かに惑わされるのは、とりあえず横に置いておきます。
名詞やYes/Noなど、頭に浮かぶ英単語を、会話のリズムに乗せて発信していく事に努めたということです。
すると、相手の英語も今までよりリズムよく聞こえてくるような気がした、と言われます。
これまでは相手の話を聞きながらも集中できず、すでに次に自分が話すことの英作文をしていたそうです。
2回目の海外出張は、全く異なる体験の連続となりました。
話をしている間にどんどん既知・未知の話題に及び、それが新しい仕事の信頼関係を築いていきました。
すべての会話で、期待していた以上の成果を挙げることができました。
自分でも、少し自信のようなものを感じて帰国することができたということです。
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山元さんが帰国する、とたくさんのメールが自分の上司宛に飛び込んでいたそうです。
すべての訪問先から、「Kenは凄い。こんな優秀な部下をもってあなたはラッキーだね」という内容でしたとのこと。
この瞬間に、山元さんの自分の英語に対する考え方に確信が生まれました。
文法は不完全、しかし会話のリズムを一番大切にし、自分の意見を明確にする。
この新しいスタイルが、海外の仲間との関係を大きく変えてくれる力となったのです。
これが、海外のビジネスパーソンと英語で渡り合う場合のファーストステップでした。
IBMでは、技術論文について海外で発表会を行うことかあったそうです。
山元さんの初めての海外での論文発表は、西海岸サンノゼでした。
1989年のサンフランシスコ地震の直後で、かなりの建物が崩壊していました。
震源のそばであったにもかかわらず、IBMサンノゼサイトは本棚が倒れた程度で地震の影響も少なく、予定通り技術論文の発表会が行われました。
初めての英語での論文発表では、完璧に台本を準備し、発表の当日もその台本を暗記して一言一句落とさないことに神経を使っていました。
発表は、台本を読んでいるような無機質なリズムで一方通行のものでした。
そのため、スピーカーとオーディエンスによる、双方向のエネルギー交換のような雰囲気は、当然作れませんでした。
山元さんは、この失敗で大いに学んだそうです。
これまで何百回と講演や講義で人の前に立つ機会を得ていますが、この失敗以来、一切台本のようなものを準備したことかないと言われます。
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山元さんは、初めての英語での論文発表は、台本を読んでいるような無機質なリズムで一方通行のものになってしまいした。
そのため、スピーカーとオーディエンスによる良い雰囲気は作れず、失敗であったと言われます。
でも、この失敗のおかげで、人前で話す時の準備や覚悟に対して自分のスタイルを確立することができたそうです。
その場その場の台本を作る代わりに、自分の引き出しを増やし、情報を整理してしまい込むことに集中しました。
そして人の前に立ったときは、そのすべての情報量のほんの一部だけを話すような工夫をしてきました。
すると、台本の丸暗記に一喜一憂することはなくなり、当日のお客の興味のレベルによって、引き出しから話題の深さを調整しつつ講演できるようになりました。
聴衆の数が1、000名を超えることがあっても、不必要な緊張に襲われることもなくなったそうです。
講演でも英会話でも、コミュニケーションでは、まず相手がいることを考えなけ
ればなりません。
正確な文法を目指すのも、台本を読み上げるのも、自分の完璧主義のためであり、相手を意識してのことではありません。
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山元さんは、NY州ポキプシーヘ出張したときのことも印象深く記憶に残っているそうです。
ここは、IBMの汎用機を開発している重要な拠点ですが、国際線のターミナルがない小さな空港です。
そのため、NYケネデイー空港で30人乗りの小さな飛行機への乗り継ぎが必要でした。
あるとき、飛行機のNYへの到着が遅れ、乗り継ぎはパニック状態となったそうです。
小さな飛行機への乗り継ぎですなので、親切なガイドなど一切ありません。
空港内のリムジンかバスかタクシーで、一番端のターミナルヘ移動するしかありませんでした。
山元さんは慌てて、長蛇の列で並んでいるイェローキャブにやっとの思いで飛び込みました。
行く先のターミナル番号を伝えると運転手は、
God damn it!(ちくしょう!)
と言ったそうです。
客待ちの列で並んでマンハッタンヘの客を乗せることができたと思ったのに、
「空港の一番端のターミナルまで」
とあまりにも近距離を指定したため、怒り狂っていたようです。
山元さんは釣り銭もとらずに飛び降りて、搭東口に一目散に走りました。
なんとか出発には間に合い、目的地の空港には到着しましたが、短時間の乗り継ぎだったため、スーツケースが来ていませんでした。
宿泊するホテルの情報を拙い英語で必死に伝え、翌日の到着をホテルで待つ羽目になてしまいました。
このようなトラブルのたびに慌てふためいていては、冷静にビジネスをすることはできません。
こういった経験を通して、どんなトラブルにあった時でも、冷静に対処できる英語力が必要だと感じたそうです。
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山元さんは、英語に時間をかけては高度な仕事はできない、と言われます。
当時の日本は、コンピュータそのものの知識や経験もまだ浅かったので、その多くをアメリカから持ち込んでいました。
特にソフトウェア開発のスキルには大きな差がありました。
IBMでは、当時から基本的にすべてのドキュメントは英語でした。
もちろん、お客様が使用するようなマニュアル類は翻訳版も整っていました。
しかし、研究所・工場で使用している社内用文章類は、元々アメリカで作成されたものがほとんどです。
それどころか、稼働しているシステムのプログラムも、その多くはアメリカ本国で開発されたものでした。
プログラム言語は世界共通なので混乱はありませんでしたが、コメントやドキュメントは英語で書かれたものがほとんどでした。
幸い、コンピュータ関連ドキュメントは半分英語、半分専門用語でしたので、辞書なしでも全体の意味を把握することが可能な場合もあったそうです。
しかし、この頃、山元さんが痛感したのは、
「英語を読む時間が仕事の多くを支配する以上、読む速度を速くしない限り仕事で結果は残せない」
ということでした。
学生時代のように「辞書を片手に」というレベルでは高度な仕事はできないと思ったそうです。
英語に時間を割けば、肝心の「内容」について考える時間は、必然的に減っていきます。
それでは、レベルの高い仕事はできません。
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